幸せ

日本でも最近は裁判が増えたのか、TVで取り上げるのでそういう気がするのかはわからないですが、その中で基本にすえられているのは、幸せに生きる権利の様に思います。この場合の権利というのは、憲法に定められている基本的人権のことであろうけれども、法律が人を幸せにできるのでしょうか。法律ができることは、せいぜい税金をまけてくれるとか、補助金をくれるとか、病院代を安くしてくれるとか、家のローンの利息を低くしてくれるとか、そういうことだけです。全部お金のことなんです。もともと幸せなどという個人の気持ち、ものすごく主観的なことを指しているはずで、権利を主張する人達は、お金=幸せなんでしょうか。

足りないことがあると思えば、それは不幸なのだと思いますが、足りていると思えば、それは幸せだと思います。なので、足りていると思うことそのものが幸せなのでしょう。

吾唯足知(吾唯足るを知る)とは、どこかのお寺の石鉢に書いてある言葉ですが、現状の自分で満ち足りていると感じられるようになること、それが大切なことだと思います。

といっても、現状に満足していればいいという意味ではありません。人間には必ず不満があります。その自分の不満がどこから生じてくるのか、それを知ろうとすること、それの根源が自分自身にあることを知ること、また、足らないと感じている人を何とかしてあげようとすること、そういう部分での成長がないと、足りないという気持ちは続くと思います。

2008年11月14日(金)の日記より



京都、東福寺の書院の廊下
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