自己と宇宙

テレビを見ていたら、出演者が「自分というものは、みんな自分の体までが自分だと思っているかもしれないが、そうじゃなくてすべてが自分なんだ」と力説していました。でも、誰にも理解されずに浮いていました。見ているもの、考えていること、すべては自分が考え、見ているから存在しているのだと思えば、それらもすべて自分自身だと思えるという考え方が言いたかったようでした。ただ、バラエティー番組でそんな話をしても、誰にも通じないし面白くないから、空気を読むべきであったのかもしれません。

仏教では、大日如来は宇宙のすべてであるといいます。すべてであるなら、私自身も、また誰もが大日如来であり、宇宙そのものであることになります。ギリシャのソクラテスは、すべてのものは存在するという意味で同じであって、しかしそれはなぜ存在するのか理由はわからない、わからないということをわかることが必要であると言っているようです。キリストもなぜ隣人を愛せというかといえば、すべてが自分自身であると気が付いていたからに違いないのでしょう。

私自身は、これは話としてはわかるけれど、心底そうだと思うことができません。悟るというのはこれが根っこからわかってしまうことなのでしょうね。

2009/2/4 の日記より。

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