チンチロリン

以前、職場のリクレーションで日帰りで三重県の合歓の郷へ行きました。行き帰りのバスの中ではずっと誰かが持ち込んだ「チンチロリン」をやっていました。「チンチロリン」は阿佐田哲也著の「麻雀放浪記」に載っていて知っていたし、ルールも簡単なので、学生の時はポケコンでプログラム(サイコロを振ることと、得点の計算を自動でやる)を作って学校の連中と遊んでいました。

サイコロを3個振って、その目を競うという全く確率的な遊びなのですが、こういうゲームは不思議なことに勝ち負けの流れがある。統計的には、あらゆる目は6の3乗分のいくつだか、それくらいになるので、どの目もそれほど珍しくはない。それでも、わずかの間に悪い目ばかりが出たり、勝つ目ばかり連続して出す人もいる。運なのか。何かの巡り合わせか、と思う。

サイコロ遊びと人生は同じではないです、浮き沈みがあるという点では同じです。と考えてしまうから遊びと人生を一緒にしてしまうのですが、生きているというのは、今のこの瞬間だけであるのだから、サイコロ遊びもその瞬間の一つなだけでしょう。転がって出た目は、出た瞬間に確率は100%に変わる。人生は必然であり、なるようにしかならない、ならないようにはならない。しかし、どうなるのかはわからない。

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