自己責任

自由には責任が伴う、とはよく言われていることです。自分が何をしようと自由である代わりに、そのことで起きることには自分で責任をとる、というようなことです。これが正しいと思っても、周りが賛成してくれない時などに、自分の意志でそれを決行する、でもそれで、とんでもない結果が起こってしまったら、それについては責めを負わなければならない。

このような、自分が、自分の意思でやっている、とはっきり認識している場合は、自分でも責任は取らないといけないということは、理解しやすいです。

ところが、実は自分の意思でやったにもかかわらず、自分の意思じゃないと思っている場合が多くあることに気が付いていない場合が非常に多い。どんな時かというと、仕方なくそうした、人から指示された、など自分がやりたいと言ったわけではないという場合です。でも、きっかけが自分の意志ではなくても最終的にそれを受け入れたのは自分自身です。

たとえば、仕事中に余計な話をして騒いでいて誰かに叱られたときに、騒ぐのをやめるのは自分自身でしかありません。自分が声を出すことを他人の意志で止めることはできません。自由なのだから叱られても、大さわぎを続けても良いわけです。でも、その結果は....です。

言われたからやっている仕事、抽選で選ばれた学校の役員などなども、絶対嫌です!と言うこともできますが、そう言ってしまった場合と、嫌々受けた場合と、進んで受けた場合と、などなど、どういう対応をするのが一番いいかを実は自分でちゃんと判断して決めているのです。嫌々受ける、というのは逃げ道を作っているわけですが、そういう対応の経過や結果も、つまり周囲の協力が得られるかどうかとかも含めて、自分で決めたことです。

自由と責任などと西洋の考え方ではなく、物事の二面性、つまりは良いことには悪いことが、悪いことには良いことがついている、何事も裏を返せば違う面があるということだと思います。


2008/12/18の日記より。


京都、随心院、小野小町の歌碑、花の色は移りにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに
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この記事へのコメント

2010年12月07日 11:44
自己責任、社会人なら当然持つべきものだけど今の人達は無いに等しいかと思います。会社でお勤めされてると余計に神経使っちゃいますね。無理しないでくださいね。昨日から薬が変わって起きたのがちょっと前。
京都にお住まいなんですか。ちょっと憧れちゃいます。間違ってたらすいません。
2010年12月10日 19:17
ゆるい職場だとあまりこういうことは問題にならないのですけれど、ピラミッド型の組織の場合は、「やりたいとは言っていない」的な責任逃れのようなことが起こります。やっかいはことです。
京都は生まれたところです(といっても京都市内ではなくて、宇治市ですけど)。今は隣の滋賀県に住んでいます。距離的には、行きたいと思えばすぐ行ける感じなんです。

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