牽牛子塚古墳、斉明陵で決まり

中学生から高校生の頃、奈良県奈良市内や明日香村などによく通っていました。お寺、神社、古墳、宮殿跡などを巡っていました。牽牛子塚古墳は行きたいと思いながら、場所が近鉄線の西側で、他にあまり遺跡が無いので、後回しにしているうちに、結局行っていません。今回、牽牛子塚古墳の調査と、それに伴う越塚御門古墳の発見で、牽午子塚は斉明天皇と娘の間人皇女が葬られて、大田皇女は越塚御門古墳の発見で、考古学と文献史学とが一致しました。史実が明らかになっているのか、とても興味を惹かれます。

天智天皇が、3人の埋葬を終えたらすぐに近江に都を移して即位したのは、やはり母親姉妹、こどもを(だったか)をきちんと葬ることを先にして、その後すぐに新羅、などが攻めてこないかを考えて近江京に遷都している。当時の日本は、非常に緊迫感がったらしい。

発掘によっていろいろなことが分かって来るのはいいけれども、その一方で、天皇家の墓が暴かれるというのもきちんと考えなくてはいけない気がします。

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